クッキー焼き狂製造の失敗

クッキー焼き狂製造の失敗

 地下室には数百にのぼるオットセイたちがすし詰めにされて軍隊式に直立していた。彼らは皆が皆、桃で言うところのわずかに茶色を帯び始めたジューシーな完熟状態といったオットセイばかりだった。

「よくぞこの訓練に集まってくれた、クッキー焼き候補のオットセイたちよ!」と壇上の男は叫んだ。「国が諸手を挙げて求めているのは、プロのクッキー焼きだ。国が気前よく給料を支払うことになるのは、どんな状況下においても、うまいクッキーを焼くことのできるオットセイだけだ。半死半生の状態でもクッキーをうまく焼いてくれることを、僕はただ願っている」

 すし詰めにされたオットセイたちが歓声をあげた。彼らオットセイはこの厳しい時代を生き抜くために、皮下脂肪は燃焼させたくないが、クッキーはとことんまで焼き尽くしたい、と一旗あげて集まってきたのだった。

 なぜクッキーか?

 まず第一に、たかだかクッキー、という古い考え方は肩パッドなんかといっしょに町一番の焼却炉で今すぐ燃やしてしまったほうがいい。

 クッキーを見かけと味ほど甘くみない方がいい。幼少期、友人宅を訪れて出迎えてくれたのは、何も唾液まみれの小汚い犬ばかりではなかったはずだ。そう、ミトンに手を包んだ母親が、どうしてか出迎えの印として、オーブンから出したての天板をわざわざ玄関口まで持ってきてクッキーをお披露目していたではないか。あれはただの挨拶でもお出迎えでもなく、他人を虜にし、仲間にするための効果的かつ伝統的な手段のひとつだったのだ。その幼い時の記憶が人間には皆刷り込まれており、人はクッキーに心を許し、クッキーを絶えず求めるように形成されてしまっている。焼き立ての温かいクッキーは蛇の冷たい心をも溶かすと言う。クッキーのあるところに温情と愛と結託がある。

 つまり、我々はクッキーと紙幣とがいっしょに社会を回していると言っても言い過ぎではない世界を生きているのだ。

 その歴史は古く、エリザベス朝以降のイングランド人主婦が各家庭で築きあげてきたクッキーを焼くという文化をやすやすと損なってはならず、女性の社会進出によって穴の開いたクッキー焼きの役割を、オットセイたちが買って出たというわけなのだ。

 そして彼らはクッキー焼きの厳粛な訓練に駆り出されていた。

「牛乳と卵黄を入れ、小麦粉を混ぜ……いや、違う!」

 教官の男がクッキー作りに躍起になるオットセイたちの間を歩きながら、厳しい言葉を投げ、近くにいたオットセイ4頭がまとめてびょんと飛び跳ねる。

「違う違う、まるでなっていない! 牛の母乳を入れるなんてどこに書いてあった? そのでかすぎるケツを引っ叩かれたくなかったら、手順通りやりやがれ!」

 そう言いながら、教官はしっかりとオットセイたちのケツを引っ叩いているのである。

「そうやってケツを振ったり、尻尾をパタパタやったり、胸びれをぷりぷりしたり、やたらと無駄な動きの多い奴だ。オスメスの私語も、もちろん禁止だ! さあ、皮下脂肪を燃焼させる前に、小麦粉と砂糖の塊をしっかり焼いてくれるかな!」

 どんなに罵倒されながらでも、うまいクッキーを焼くことができるか、という訓練だった。オットセイは見かけよりもずっと繊細で、実際、教官に「おまえは息がすこぶる臭い」と言われたオットセイは、ショックのあまり泡を吹いて倒れ込み、オーブン4台を下敷きにしたほどだ。

 続いて、礼儀作法をとことんまでわきまえていない大量のオス犬がオットセイの集中を乱そうと画策してやってくる。これも訓練のひとつだ。

「犬畜生どもがやってきたぞ!」オットセイたちは叫んだ。

 連中ほどクッキーの魅力に懐疑的な生物はいない。人を出迎え、温かい気持ちにさせるのは自分たち犬であると1973年に「動物の愛護及び管理に関する法律」の制定以来、かれこれ40年は勘違いをしている。

 これで30ではきかないオットセイたちが膝を地につけて陥落していく。連中は小賢しく、かつ凶暴だ。犬たちは数千のアリを持ち込んで砂糖を驚異に晒そうとするのだ。アリの脅威に耐え抜いたオットセイだけが、天板に並べたクッキーをオーブンの中に放り込んで、タイマーを回す権利を獲得する。

 そして、すでに生き残ったオットセイたちのこねたクッキーのタネが、オーブンの中で焼かれ、時間が過ぎるのをただ待っているだけ、というタイミングになっても、訓練はまだ続く!

「おいおい、サンドウィッチ職人になりさがりたくはなかろう!」

 今度は脅迫に耐える訓練だった。オットセイの世界では、サンドウィッチ職人に任命されるということは、つまり侮辱に他ならなかった。なにせ、オーブントースターを使わない生のパンに、生のレタスとトマトを挟み、マヨネーズをかけるだけなのだ。文明人がやることではないではないか。第一、熱を通していない食品を提供することは、つまり、細菌や毒の恐怖に客人を晒すことに他ならないのだ。生のパンに挟むくらいなら、尻に挟んだほうがまだましだ、というのが彼らの中の一般的な考え方だった。

 さらに言うと、サンドウィッチたるものトランプやバックギャモンの片手間に食べるもの、と決められているらしいではないか。つまり、客人に片手間で済まされてしまうほどの価値しかないと、進んで認めているようなものなのだ。

 オットセイたちはオーブンの前で焼き上がるクッキーを待つだけという時間に、最悪の脅迫を受け、ほとんど半死半生となるほどがくがくに膝を打ち震わせていた。

 最後に味がチェックされ、往復ビンタを受けながら、正しい味というものを何度も教え込まれた。

 そうした地下室での厳しい1年間の訓練を終えたオットセイたちは、晴れがましい顔つきで各家庭にばら撒かれ、家々にクッキーのおもてなしを提供していったのである。

 しかし、しかしである!

 オットセイたちは確かに厳しい訓練を乗り越えた。エリザベス朝以降のイングランド人主婦に取って替わって、おもてなしの温情を皆に振りまいてきた。ただし、彼らを育て上げた訓練はあまりに厳しすぎ、厳格すぎた。半死半生になりながらクッキーを作るなんてやはり間違っていたのだ。

 きっかけは、夏、ぱりぱりに乾燥した時期だった。水不足で牛の乳が搾り出せず、飲料の価格が高騰していた。そんな時だ。

 客人がやってきて、いつものように「クッキーを焼きましたわ」とぷりぷりに太ったオットセイが天板にずらと並べたクッキーを見せ、スリッパを履くや否や、クッキーを客人の口に放り込んだ。

 いつもなら、客人の頬に微笑みが生じるところである。しかし、2枚のクッキーを噛み砕いた時、致命的な水分不足に客人は喉を押さえながら倒れ込んだのだ。「み、水をくれ」と言ったのち、ついぞ立ち上がらなかった。

 この事件は、世のおもてなしクッキーオットセイたちに激震を与えた。

 しかし、しかしである。厳粛でシビアな訓練のために、オットセイたちはクッキーをうまく焼くことだけにガチガチに凝り固まってしまっており、柔軟な対応というものを一切知らなかったのだ。もはやクッキー狂であった。

 そこで政府は、クッキー狂となったオットセイたちを見捨て、新たに、ゾウアザラシたちを集めて、水分たっぷりな「おはぎ」を作らせる訓練を開催した。今度は、自由な思想とユーモアに満ちた訓練で、とにかく滅多矢鱈に讃え、褒めて伸ばすことを目的としたものだった。

 現在、ゾウアザラシたちは褒められて技術を伸ばし、自由な思想と解放された精神のために鼻の下を伸ばし、羽を伸ばしまくって、多数オスメス入り乱れた状態で、微笑ましくおはぎを作っているらしい。

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