円盤の飛来についての考察(#UFOの日)
円盤が飛来した。それをUFOと呼ぶためには、それが未確認な飛行物体である必要がある。
そう定義されているからだ。
つまり我々がUFOの正体を見破った日には、それをUFOとは呼べなくなってしまうのだ。
UFOは謎であるからこそUFOなのであり、嘘か本当かわからない目撃体験であるからこそUFOなのである。
着陸したUFOに連れ去られ人体実験をされたというまことしやかな話を聞くが、まず未確認と呼ぶにはあまりに実態を晒しすぎているし、着陸して飛行していない時点でUFOではないのだ。
UFOがUFOであるためには謎である必要があるのだ。
謎が解けた時の一瞬のきらめきと恍惚。しかしその後には人々は急速にUFOへの熱を失うだろう。
だからその日、実際に円盤が飛来した時、人々は目を覆い、顔を背け、今晩の夕食のことでも考えながら離散し、その日の記憶を失わせるために、壁に頭をしこたま打ちつけた。
訳知り顔の専門家が、UFO映像をやたらと批判するのには、そういった背景がある。
空飛ぶ円盤操縦者は、「ついに姿を晒してやったぞ!」と興奮気味にやってきたが、誰もが興味薄なのを感じて、そさくさと帰っていった。
Leave a Reply