夢見るジュゴン
腕を組んだ一団がずらと並び、真剣な眼差しを注いでいる。その目線の先では、大きな消しゴムの固まりが幾つか並べられており、耐久テストにかけられているのであった。
検査員たちのあまりの真剣さと言えば、「ありゃ、お団子ですかい?」なんて冗談を言おうものなら即座に袋叩きにされるのではないか、というほどだった。
と言うと、一度消しゴム試験に紛れ込んだパンケーキを見落として流通させ、社会から大きな反感を買い、創業以来最大規模の不買運動に発展してしまってから、彼らの意識は一転していたのだ。
彼らは純然たる消しゴムにすべてを懸けるようになっていた。消しゴムの良し悪しを見抜けないくらいならば、いっそ消しカスにでもなったほうがいいと考えているような連中である。そのため、連中の目はやすりがけされたように鋭く、妊娠したサイくらい神経質なのだった。
検査はその効率性のために、ちょうど皆の筆箱に放り込まれるサイズではなく、切り出される前の巨大な固まりのまま検査にかけられる。販売用の消しゴムおよそ300個分の大きさであり、いわば消しゴム予備軍として扱われる存在である。
第一にその柔軟性が見られる。あまりに硬すぎてもならないし、反対に茹ですぎたうどんみたいに柔らかいものもいけない。
一般的に、ロックウェル硬さ試験と、ショア硬さ試験と呼ばれる2つの角度から調べられる。ただし、大抵の消しゴムは涼しい顔のままこの試験をパスする。
消しゴムのしなり具合ひとつとっても、キレやすい児童を暴君にしかねないと言うのが1372回重ねられた専門家会議による結論であり、そのために国が多大な資金を投じて、完璧なしなり具合を保った消しゴムをミスなく生産する技術を獲得させたのだ。だからこのテストはほとんど形式だけと言ってもよく、あの眼光鋭い検査員も、以降の試験のために目を休め、そっと閉じると言われているほどなのだ。
次にその白さを検査する。歯磨き粉CMのタレントが歯の白さを誇示するように、消しゴムも黒い字を消すからには対照的に真っ白でなければならない。
検査員は虫眼鏡を手に手に、鋭い眼光でもって消しゴム予備軍たちを丸裸にしていく。そして少しでもくすみを指摘されると、消しゴム予備軍たちは頭に赤色のボールペンで×印をつけられていく。
その時点でテスト会場から場外に蹴り飛ばす古い考え方の厳格な検査員もいるにはいるが、最近ではごく稀だ。あとで熱心に磨けば、何とか地方の公立小学校の低学年くらいなら使ってくれるかもしれないからである。
しかし次の試験は甘くない。彼ら検査員を厳格たらしめている試験とは、実際次のことを言うのである。
次の試験では、「物事を正そうという意思があるか」という観点から消しゴム予備軍たちをふるいにかけるのだ。消しゴムの使用目的とはつまり、間違ったものを正すこと、それに尽きるからだ。それなしに消しゴムである意味などどこにもない!
これには、ジグソーパズルが使用される。完成図がはじめからわかっているものをわざわざ複雑に分解しておいて「正しく並べよ」と要求するあれである。専門家によると、指先を細かく動かすから脳が活性化するのだと言うが、わざわざそんなことせずにピンセットで豆でも摘んでいればいいのだ。
さて、消しゴム予備軍たちの目の前にそれぞれ誤ってちぐはぐにはめ込まれたジグソーパズルが差し出されると、消しゴム予備軍は実に2通りの行動パターンを示す。
1つに、やみくもにピースを摘み上げ、滅多矢鱈にピースを振り回し、はめ込もうと無茶をした挙句「ああ、だめだ、あとは野となれ、山となれだ!」と言って放り出すタイプであり、一方で、「これはひょっとすると間違った配置なのかもしれないぞ」と、熟慮黙考し、みじろぎひとつせず熱心に向き合うタイプである。
当然、熟慮黙考タイプの真摯に向き合うタイプが評価される。あとは野となれ山となれタイプはあまりに動物的であるため、検査員によって外に引き摺り出される。見ると、頭に×印をつけられたやつばかりなのだ。
引き摺り出された脱落消しゴムたちはその後、念のため、哺乳動物としての意識を持ち得るかを簡単に調べるために、牛の母乳の絵を見せられる。哺乳を求めてたまらず突進してくれば、そいつは間違いなく消しゴムではなくジュゴンである。
よくいるのだ。少しばかりフォルムが似ているからと言って、自分は消しゴムの資質があるに違いないと夢だけ見てやってくる野放図なジュゴンが。試験ではこういった輩を徹底的に排除する必要がある。ジュゴンが消しゴムとして全国の鼻垂れ小学生の筆箱におさまってはならぬのだ。
第一に、海臭いし、顔がボケっとしすぎている。学力に悪影響が出ることは明らかだ。
「ジュゴンごときが消しゴムのテストに紛れ込んでんじゃねえ!」
検査員がそう言い残して扉を閉めると、ジュゴンたちは消しゴムとしての華々しい前途洋々たる人生を失ったことを悔やみ、涙を飲み下し、泣く泣くジュゴンとして生きることを受け入れる。
ただひとつ希望があるとすれば、人魚として生きる道である。ただし、彼らは人魚としての資質である「現実を見ず、幻想に生きる」という考え方を完全に損ってしまっている。
弾き出されたジュゴンたちは挫折を味わっているため非常に現実的なものの見方をするようになっているのだ。「これからですか? 郵便配達人のアルバイトか折り紙の内職でもして生きますよ」というやつが大半だ。これでは人魚になれない。
ジュゴンたちは皆、それぞれ途方に暮れた様子で歩き出す。
「いったいおいらたちの何がダメだったのだろうね?」
「さあね、君はちょっとばかし鼻が歪すぎるのかもしれないがね」
「おいおい、それならあんたは睾丸のせいだね。睾丸のついている消しゴムなんて聞いたことがない」
消しゴムとしての道を絶たれたジュゴンたちはそんな実りのない議論ののち、またとびっきり意気消沈するのだった。
そうしてしばらく歩いていると、前方からこんな声が聞こえてくる。
「いやいや、きっとおまえさんに立派な睾丸がついていないからダメだったんだよ」
「だからって○印をふたつ書く権利は検査員にないぜ?」
「その通りだよ、まったく!」
見ると、絶望的な顔をして愚痴をこぼしている消しゴムの集団が歩いているのであった。
「あんたたちは……」
「おまえたちは……」
消しゴム試験で跳ねられたジュゴンと、ジュゴン試験で跳ねられて消しゴムの道を歩まされた連中の出会いだった。
消しゴムの連中は、同情心からジュゴンたちの頭に書かれた×印を優しく消してあげ、ジュゴンたちは、消しゴムに書かれた2つの○印を、母乳とつい勘違いし、哺乳類の本能を駆り立てられて突進してしまう。
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